大岩の村境標【生山・下石見】
鍛冶屋・田ノ原の境界標の大岩
現在は、生山と下石見を結ぶ道といえば石霞渓を通る道だが、かつては鍛冶屋~田ノ原道が主要な街道であった。その街道の峠付近に、境界標とされる大岩がある。
大岩の上面に、1文字15cm角位の大きさで次のように刻まれている。
「下石見生山境往還ゟ東西此岩之通宇祢切山境」
境界紛争
大岩は、峠から300m程も生山側に下がったところにある。下石見の大庄屋古都源八が藩の役人を迎えに出たとき、役人に境界を尋ねられ、「ここなり」と答えた地点が境界に決まった。それ以来、両村の間に境界紛争が絶えなかったという。
こんな逸話も…
生山段塚家と下石見古都家で話し合いがもたれ、同時刻に出発し、出合ったところを境界とするとの約束をした。古都家は馬を飛ばし、一方、段塚家は駕籠(かご)で向かったため、境界が生山寄りになったとの説もある。