孝霊天皇の鬼退治【日野上】

孝霊天皇、伯耆へ

西の国々を巡幸していた第七代孝霊天皇が、伯耆の国で日野川を上ったときのこと。鬼林山に鬼の一団が出没して、村人がたいそう困っていることを知る。「牛鬼(ぎゅうき)」の名で恐れられる邪鬼は、体格が良く力も強いうえに身のこなしも素早いので、とても村人たちが退治できる相手ではない。

歯黒皇子(はぐろおうじ)

孝霊天皇は今回の化け物退治の総大将を歯黒皇子に命じた。歯黒皇子の生まれたいきさつにはこんな逸話が残されている。母親が妊娠してから3年以上経過してからようやく誕生したが、その時にはすでに歯も髪も黒々と生え揃い、凛々しく不敵な面構えであった。彦狭嶋命(ひこさしまのみこと)という名なのだが、誰言うとなく歯黒皇子と呼んでいた。

牛鬼を追い詰める

孝霊天皇は、歯黒皇子の軍勢を鬼林山に登らせて一斉攻撃を仕掛ける一方で、麓で待機して矢戸から集めさせた矢竹(やだけ)を放つという方法をとった。
さすがの鬼たちも、歯黒皇子に攻撃されるわ、逃げ道は弓矢でふさがれるわで、戦う術もなく降参してしまった。

樂樂福神社

その後、日野の奥を荒らしまわった鬼たちは、改心して孝霊天皇の家来になったと伝えられている。孝霊天皇はこの地が気に入り、宮内の日野川を挟んだ東側に天皇の行宮(あんぐう)を、西側に皇后の細媛命(くわしひめのみこと)の行宮を造り、逗留(とうりゅう)した。後に、その跡地が樂樂福(ささふく)神社となった。

<参考文献>
『日野川の伝説』『因幡伯耆の伝説』