九牛士(きゅうぎゅうし)の伝説【福塚】

小早川隆景、自照寺(じしょうじ)へ

小早川堂

小早川堂

毛利氏が尼子氏を滅ぼしたのち、毛利元就に命じられ出雲・伯耆の巡見を終えた小早川隆景は、山陽への帰途釈迦寺(現在の自照寺)に寄宿した。
その夜、尼子の残党である九牛士が山腹より下降して食糧の略奪をするため、釈迦寺の境内に出没したところ、小早川隆景一行の牛馬が多数、庭につながれているのを見て、牛馬を生け捕りにしようとした。この騒ぎに隆景は飛び出し、九牛士と格闘の末、桃の木にしばりつけ「明朝打ち首にするから、それまで番をせよ」と家来に言いつけた。

住僧 阿明坊(あみょうぼう)の夢

その夜、当寺の住職 阿明坊 和尚に夢のお告げがあった。「我々は尼子の家臣九牛士で、その証拠に主君経久より「金の手形」を所持している。我々の命を助けて下されば、真人間に更正し、以後は牛馬の守護神となって、牛馬を守ってみせます」

九牛士の改心

翌朝、昨夜の夢の次第を聞いた隆景は、住僧の哀願を聞き入れて、綱を解いてやった。前非を悔い、更正すると誓ってからの九牛士は、自照寺のために良く奉仕し、獣医学に精通していた腕を生かし、牛馬の保護に精進した。
九牛士逝去後、住僧は九つの塚を建立し、供養を続けた。いつしか、九塚の地名に変わったということである。
住僧は、観音(小早川)堂を建立し、脇に九牛士を奉安し、牛馬守護神として後世に残すことにした。