吉兵衛井手【印賀】

印賀川から4kmにわたって水を引き、印賀の田んぼを潤している水路があります。地元の人は“吉兵衛井手”と呼んで、大切にまもり継いでいます。

井手づくりに尽力した古都吉兵衛

古都家五代の吉兵衛は、先祖の興した製鉄業を引き継ぎ、吉兵衛の代でも大いに繁栄した。吉兵衛は、宝谷川の下流に住居を構え、たたら業を営むかたわら、田畑開墾の大志を起こし、水利の便を良くしようと、井手造りに尽力した。

顕彰碑建立

昭和55年4月、「吉兵衛井手組合」によって、樂樂福(ささふく)神社鳥居の横に顕彰碑が建立された。その碑には、五百年以上経った今でも地元の人はその恩恵に浴しており、この偉業を永遠に伝えるがために建立した、と記されている。

古都家は伯耆の製鉄の始祖

吉兵衛の先祖は、この地域のたたら産業の基礎を築いた人として知られている。
古都家初代の文次郎信賢(もんじろうのぶちか)は、院の御所の北面(ほくめん)で警固(けいご)に当たる武士であったが、建長6年(1254)、良鉄を求めて印賀に入り、製鉄を始めたと言われている。宝谷の奥にあった阿太上(あたあげ)に鑪(たたら)を作ったと伝えられている。

<参考文献>
『里山おおみや』『日野郡史』『日南町史』『日野郡の大庄屋』