日野郡の大庄屋・古都源八久富(ふるいち げんぱち ひさとみ)【下石見】

印賀の古都家の七代目・佐吉が分家して下石見に移った、その三代目が古都源八久富(1689-1737)である。

坪上山(つぼかみやま)一揆を鎮静

享保17(1732)年ごろ、ウンカの大発生により大凶作となり、西日本で多数の餓死者が出る事態となった。藩の年貢の取り立てに追い詰められ、因幡と伯耆の農民が一揆を起こし、伯耆勢は淀江の坪上山に結集した。源八久富は坪上山に赴き、衆を鎮め、藩との交渉にあたり、一揆を解散に導いた。

常福寺に経蔵建立

常福寺 経蔵

常福寺 経蔵

元文元年(1736)年、多里の常福寺の住職・台翁(だいおう)和尚が経蔵を建立するにあたり、源八久富自ら寄進するとともに、郡内一円に浄財を募り、物心両面で支えた。
また、長楽寺(日野町)が由緒ある寺であるのに荒廃しているのを嘆いて、その再興にも尽力したと伝えられている。

県指定保護文化財に指定

2014年4月、常福寺の経蔵と山門が鳥取県指定保護文化財に指定されました。一切経が納められている経蔵の中には、源八久富の木像も奉られています。六角形の「なまこ壁」は鳥取県最古といわれています。

<参考文献>
『日南町史』『日南町史資料 その二』『下の岩』『日野郡史』『日野郡の大庄屋』