八人塚【湯河(ゆかわ)】

備後・備中・出雲の分岐点

鍵掛峠を越えて備後へ、出立峠を越えて備中へ、上萩山を経て出雲へと至る多里宿は、かつて物資の集散地として栄えていた。

にぎわう多里宿へ

江戸時代のころの話。備中北部の特産であった麻の繊維などの梱包を馬の背に積み、馬子八人が出立峠を越して、多里宿の問屋に運んで換金した。
通常なら一泊するところだが、師走のことでもあり、この代金を待っている荷主たちのことを思い浮かべ、再び出立峠を越えることにした。

峠越え

多里宿を出発する頃はさほど天候の心配もなかったが、やがて、降っていた雪に風が加わり、天候は荒れ始めた。日の暮れないうちに峠を越えようと、馬子たちは、お互いの位置を確かめあいながら、見失いがちな山道を一歩ずつ登っていった。
ところが、頂上に近づくにつれ、雪も深くなり、吹雪で視界がきかなくなり、人も馬も一歩も動けなくなってしまった。やがて、八人は馬もろとも全員凍死してしまった。

碑を建てる

八人塚

八人塚

この遭難した場所に、八人の霊を弔うための塚をつくって供養したという。旧道を利用していた頃は、通る人々が花や線香を供えたものだが、今は旧道を歩く人もなく、八人塚はやぶの中にひっそりと埋もれている。

<参考文献>
『日野川の伝説』『日南町史』『鳥取県の地名』