解脱寺の尊像伝説【阿毘縁(あびれ)】

日野中将 阿毘縁へ

法塔

下阿毘縁神社前にある七巡り田の法塔

南北朝時代、足利尊氏の配下・日野中将が山陰地方鎮撫(注1)のため西国に出発する際、京都本圀寺(ほんこくじ)に安置されていた祖師日蓮上人の尊像三体(注2)のうち一体を貰い受けた。日野中将は阿毘縁に小さな御堂を建て、尊像を安置した。やがて、日野中将は尊像を残し、都へ引き揚げていった。

不思議な夢

300年ほど経った慶安元年(1648)米子の本教寺の住職日要(にちよう)上人は不思議な夢を見た。
「われは阿毘縁の日蓮なり、くずれても佛はくさりある哉」
その朝、松江の桔梗屋小左衛門の使いの者が銀子(注3)を置いていった。これで阿毘縁の日蓮上人の御堂を建ててほしいと言う。本教寺の信者である長尾善右衛門を桔梗屋へ行かせ子細を尋ねさせたところ、小左衛門は身に覚えがない。仏縁の深さに感謝して小左衛門と善右衛門は日要上人に会い、不思議な夢の話を聞き、阿毘縁へ出かける決意をする。

御堂の再建を決意

阿毘縁の里に着いてみると、尊像が荒れ果てた御堂の中にあった。村人たちは、尊像にまつわる数々の不思議な霊験を二人に語って聞かせた。誰もいない御堂の中から読経の声が聞こえること、尊像を盗み出した者が近くの田を一晩中走り回ったこと(七巡り田)、数千の蛍が群がるがごとく光る田を掘り起こすと盗人が埋めた尊像がみつかったこと(蛍田)。
二人はすっかり感動し、御堂の再建を決意し、日要上人とともに浄財集めに奔走した。慶安三年、立派な大伽藍(だいがらん)が完成した。

(注1)鎮撫(ちんぶ)…乱をしずめ、民を安心させること
(注2)尊像三体…残る二体は、徳島の法華寺、大阪和泉市の妙泉寺に伝わる。それぞれに尊像伝説が残っているという。
(注3)銀子(ぎんす)…銀貨・貨幣