内藤岩雄(ないとう・いわお)

別名 内藤茶村
生没年 1874~1944(明治7年~昭和19年)
出身地 日南町茶屋(旧・山上村矢原)
経歴 教育者。山上報徳社の設立。社会教育に尽力。『日野郡史』の編さん。

学科だけでなく、造林に励んだり野山をかけまわったり花を植えたりすることも大切な教育だという信条のもと、村全体で教育を推し進めた人です。

内藤家の長屋に20人あまりの生徒が泊まり込み、生活を共にしていた頃もありました。かつて勤務していた日野高等小学校の生徒が岩雄をしたって、山上の学校に通っていたからです。一時山上を離れ、日本で始まったばかりの綴方教育(今の作文教育)の研究を広島で深め、帰ってきてからは子どもたちに長い文章や日記を書かせることに力を入れました。教育のためにひたすら取り組んだ功績が認められ、大正3年「文部大臣選奨」という、教育者としての最高の賞を受けました。

岩雄は学校を去ったあと、もうひとつ大きな業績を残します。日野郡の歴史・地理などあらゆる出来事をまとめた『日野郡史』の編さん委員の一人として力を注ぎ、完成させました。『日野郡史』は、今なお、日野郡の貴重な記録として高い評価を得ています。

<参考資料>
『鳥取県大百科事典』
『鳥取県子どものための伝記 第三巻 山崎秀子・田熊常吉・内藤岩雄』
『内藤岩雄先生伝』
『鳥取県石ぶみ文学史』